トレイルラン その後

前回、トレイルランについて触れましたが、その44キロの大会に出場してきました。

朝7時にスタートして、ゴールは17時すぎ。ボロボロでした。タイム的には極めて遅いのですが、でも自分になにが足りないかが分かって良かったです。

スタートした直後は軽快にランという感じであるものの、次第に歩き主体になって、最後のほうはほとんどが歩きという具合です。ゴールを前になにを考えているか。それは「生ビール」や「カツ丼」ではありません。残念ながら家族の顔でもありません。はよ終わらないかな、ということばかりを考えていました。

この大会は標高差も勾配も厳しいことが有名らしく、実際にその通りだと思います。でもまぁ最近山でバテていない(こてんぱんにやられていない)身体にいい具合に喝が入ったようで貴重でした。

さて、僕がこのようなトレイルランに興味を持っているのは「山で役立つスキルが満載」ということが大きいです。登山では安全に帰還するためにスタミナがものを言いますし素早く移動できるスピード感や足腰の安定感も大切だなと思っています。よく登山スキルを語っている本には「足首を覆うハイカットで」と書かれていますが、トレイルランで足首周りを強くしておけば、そのような基本的安全性もスルーできるような気がするのです。

でも、登山者とトレイルランナーはあまり仲良しではありません(あくまで主観です)。お互いに興味を持つことなく、山の先住民である登山者はランナーのことを「道を荒らす輩」と考えられてしまいがちです。もしくは「そんな無謀なことを」とか。

けれど両者を区分けするべきではないというのが、ぼくの考えです。自分のチカラで登っているんだから、それはフェアな行為です。

道が荒れるというのは一理ありますが、でもストックを刺して登山道を歩くにもけっこうダメージはあるのではないでしょうか。

そんなに急いだら危ないよと思われても、自分の心身を鍛えるのならギリギリのところで頑張らないと意味がありません。死んだらどうするの?と忠告されても、やっぱりそれは自己責任だと思うのです。

世間(特に日本)ではチャレンジングな行為が無謀とか言われ非難の対象になりますが、ぼくはそうだとも思いません。死ぬかと思ったという経験が人を強くするし、運悪く命を落としてもそれはちょっとなにかが足りなかったという仕方のないことだと思うのです。

もちろん死なないために手は尽くします。荒天対策や時間切れのときのエスケープルートなど。「レース」や「イベント」では守られている感が強いので、たしかに無防備ですが、でも実際の山で走るようなときは、ちゃんと装備につても考えなければいけません。

そして、死なないためにいちばん必要なのは「死なない強さ」です。

精神的、肉体的、または運の強さでしょうか。でも山での経験を積むことでそれらは高めることができると信じています。

そう強くない僕は、今後もそれなりに頑張りながら今後の活動に臨みたいと思う次第なのです。

 

 

 

 

 

 

 

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